読書記録:日本史 自由自在(本郷和人著)
- 作者:本郷和人
- 発売日: 2019/12/20
- メディア: 新書
2019/12/20 に出た本。
著者の本郷和人氏は、東京大学の史料編纂所教授。
著者は、言動がたまにネットで批判を浴びる(炎上)ことがあるらしい。 たとえば、天皇家のことを「王家」と書いて炎上したり、「令和」という年号が決まったときに批判して炎上したりしていたという。
本書を買ったきっかけは、近所の本屋で平積みになって置いてあるのを手に取り、まえがきを読んで面白かったからである。 やはり、売れる本は導入部(イントロ)が面白いのだと思う。
著者の本郷氏は学生(中高生)時代から日本史の成績がよかったが、同級生からある日次のようなことを言われた。
本郷さあ、おまえ日本史だけは成績が良いよなあ。結局、日本史で点が取れるって、言い直すと「日本史がよくできる」って、どういうことなわけ?どういうところがすぐれてることになるの?記憶力?
その後、年月を経て歴史学の研究者となった著者は、「良い日本史」とは何かについて次のような理解に達した。
「人間ってなんだ、生きるってなんだ」という大きな大きな疑問について、過去のさまざまな人の生き方や事象や制度や慣習を素材として、考えることじゃないのか。
そうして考えた内容の一部が、本書になった。
本書では、十数個の漢字を選び各章の主題(テーマ)とする。
編、食、境、武、裸、王、笑、一、男、白、道、美
これら1つの漢字ごとに、各章を区切る形で話を展開する。
特定の時代や人物に焦点を当てるのではなく、選ばれた「字」をテーマにして話を進めていくので、話が古今いろいろな時期にわたり、また文化史や習俗の話題も、政治・経済の話も混ぜて行ったりきたりする。
その意味では確かにタイトルどおり 自由自在な本になっておると思った。
電子書籍で読んだが、容量が 646kb という小ささだった。つまり、図がなく文章だけの本である。
著者は、文化が「貴族やブルジョアだけ」の文化なのか、それとも「一般大衆に支持された」文化なのか、 というところを気にする。たとえば平安時代の代表的な作品である源氏物語について、
「源氏物語」が、貴族の間で広く読まれて、基礎教養として成立するのは、実は室町時代だったという指摘があります。実際に読まれたのは室町時代だったということになると、「「源氏物語」は室町時代の文学だ」という言い方もできることになる。もしかしたら「源氏物語」は、日本を代表する文学ではあっても、平安時代を代表する文学ではないのかもしれない。
と述べている。つまり、作品がつくられた時代でなく、作品が受け入れて広く読まれるようになった時代がいつであるのかが重要である。
歴史学者としての悩み事も書かれている。
最近では、昔とちがって優秀な人が歴史学者にならない。昔はちがった。
理系の研究はお金をもらっているが、文系の研究は十分に研究費をもらっていない。
暗記中心の歴史学になっている。
など。どの分野でも職業でも、悩みはあるんやなと思った。
面白かったところ
戦前の歴史研究者、平泉澄の言葉を引用する形で次のように述べた部分がある。
史料を編纂すると言っても、それはただ出来事を並べているだけだ。数式における証明のように「Q.E.D.、これでおしまい」と記述するだけで、考えていない。歴史とは、もっと頭を使って考えるべきものだ
QEDとは、数学の証明問題の解答するときに最後の行に書く決まり文句であるが、「数式の証明」を「考えていない」と言ってしまっている。ここを読んだときは、「いや数学の証明はめっちゃ考えた結果やろ・・」という感想をもった。それと同時に、「日本史という学問は数式のようなものではいけない」という著者の感覚が、この箇所に現れているようにも思った。
まとめ
まえがきが面白い。
文系の研究者にも悩みはある。自分の分野が低く見られているという悩みがある。
文学などの作品は、大衆に受け入れられるようになった時代がいつであるのかが重要。
図解なしの活字だけの本。